創造都市政策の20年が生んだ、子育て支援が軸となる関内まちづくり。

後藤清子さん(株式会社ピクニックルーム代表取締役)

横浜市が2004年1月、「文化芸術創造都市―クリエイティブシティ・ヨコハマの形成に向けた提言」を発表して20年。今年は創造都市20周年イヤーとして、横浜のあちこちでそのレガシーを未来に伝えるイベントが行われている。自らを「創造都市1.5期生」と称する後藤清子さんは、元々は制作会社のプロデューサーとしてクリエイターたちと折衝する仕事をしてきた。自身もクリエイターの一人として自然に関内に「入植」した後藤さんは、2017年、関内エリアで子育て支援を軸とした「株式会社ピクニックルーム」を立ち上げる。リスト時代の相澤とは面識がありながらも、二人が本格的に交わるようになったのは、相澤がplan-Aを設立する前夜。そこから、関内の多様なプレイヤーとともに、「関内のまちづくり」のバディとして歩む道のりが始まった。

創造都市チルドレンとしての出会い

── 相澤と後藤さんは今年、関内桜通り振興会の副会長(相澤)と事務局(後藤さん)にそれぞれ就任した。そして会長がオンデザインの西田司さんということで、傍目にはかなり若返り、現役世代の役者が揃い踏みした布陣となる。このメンバーはplan-Aが運営する「ヨコハマ芸術不動産」にも重なり、まさに「創造都市・横浜」の申し子でもある。

 

後藤:  関内・桜通りの泰生ビルに入居しているオンデザインの西田さんや、横浜コミュニティデザイン・ラボの杉浦裕樹さんが創造都市先輩として関内のまちづくりに関わってきた時に、私もその一員としてふわっと関内に入植し、関内で活躍するさまざまなプレイヤーにお世話になりながら、2017年に関内で子育て支援を始めました。関内で働くクリエイターの子どもを預かる場として、企業主導型保育施設「ピクニックナーサリー」を始めたのです。このコミュニティがあるから子育てできそうだ、このまちで子育てしてよかったな、という価値を生み出したいと思っていました。

相澤さんを紹介してくださったのは杉浦さんです。ちょうどリストさんを退社してplan-Aを立ち上げ、法人登記をする前夜のタイミングでした。関内において、昔からまちづくりを牽引してきてきた方々と、我々のような若い世代が一緒にやっていこうという機運が高まってきた頃で、不動産に詳しく戦略設計に長けている方に関わってほしいと思った時に、相澤さんにぜひ関わってほしい!と、ロックオンして(笑)。ふわっとゆるい関係性から2019年、YOXO BOX(関内エリアのスタートアップ支援拠点)の設立を機に一気に関係性を詰め、コロナで表立った活動ができない時期に、2週間に一度のペースで「関内の未来」に向けてゴリゴリと対話する時間が始まりました。

後藤清子:株式会社ピクニックルーム代表取締役。文化事業から業界転身し、企業主導型保育室「ピクニックナーサリー」の運営や、スクール事業「ピクニックスクール」を行っている。児童への保育、教育は人材育成で、ネットワーキングが肝であり、企業運営のエコシステムに子育て支援は必要不可欠であると、地域企業連携事業の経験多数。主任児童委員、社会福祉協議会理事、相生町町内会理事、関内桜通り商店会事務局、関内まちづくり振興会前理事、横浜市PTA連絡協議会元理事など、地域の役職も多数引き受けている。 https://picnicroom.co.jp/

 

相澤: リストを立ち上げている時期に、リストの看板を下ろした相澤として関内に関わるようになりました。関内のまちがコロナ前後で圧倒的にパワーが落ちてきて、世代交代をしなければならない肌感があった時に、佐々木龍郎さんや櫻井淳さんといった関内を引っ張ってきた方々から、芸術不動産推進機構のバトンを引き継ぐことになって。これまでの関内の魅力をつくり上げて来た方々から認めていただいた瞬間という感じで、すげー泣きそうになったのを覚えています。
そこからの派生で今年、桜通り振興会の副会長就任の話があり、会長に西田さんというまさかの展開に、いよいよ来たぞ、と。世代交代というより、その世代がフロントに立たねばならない時代がきた、と感じたんです。
その背景には、秋山会長(秋山眼科の秋山修一さん)の後押しもありますが、後藤さんが関内のまちでめちゃくちゃ動いていたことが大きい。後藤さんは自らのことを(横浜DeNAベイスターズの野球チームに例えて)2軍コーチと言いますが、実はスカウトマンやその他の役割も兼務している。個々人の政治的意図や私利私欲がいっさいなく、まちづくりの価値を享受している方がこの関内には結構いるので、そういう人たちがメインプレイヤーになってきているこのまちには、この先いいことしかないなあ、という実感です。

 

後藤: 関内は相澤さんはじめ西田さん、ARG(アカデミック・リソース・ガイド株式会社)の岡本真さんなど、全国区で活躍している大人が、私利私欲なくまちのために動いている、実は子どもたちにとって、とても贅沢な環境なのです。私には「ピクニックの子どもたちのために」という私欲があるかもしれません。とにかくこのまちにいる子どもたちに誠実であるべきというベクトルと、このまちにいる素晴らしいプレイヤーの方々に巻き込まれながら自身も起業家としての研鑽を怠らないようにしなければ、という思いが強いです。

関内に住む子ども、未来のための利他

── 関内では今、二つの大規模再開発が進んでいる。一つは旧横浜市庁舎と、そこに隣接する関内駅セルテ側の再開発だ。創造都市政策の中でクリエイターやスタートアップといった個性が花開いていった関内のまちに訪れる大きな変化を、二人はどうとらえているのだろうか。

 

相澤: 私がリスト時代に手がけた戸塚の160棟の省エネ戸建住宅開発(リストガーデン・ノココタウン)では、不動産開発のあり方を変えようと、地域の方ととてつもなく密にやりとりを進めてきた経験があります。あの時の経験が「不動産開発におけるこれからのまちづくり」につながるな、と。関内はまちとして建て替え期に入っていて、ビルの更新が始まりつつあります。黙っていれば似たり寄ったりな開発になりますが、デベロッパー側としてもていねいにローカルを回らないといけなくて。そんなデベロッパー側の気持ちもわかります。旧来だと「まち」VS「不動産開発」という対立軸が構造的にありましたが、我々は「そういう時代じゃない」と考えています。関内地区で進められている2本の大きな開発もそうですが、すでに計画上決まった建物は建つけれど、お互いがどう相乗効果を出していくのかという視点で見ています。だから私は、旧市庁舎街区の再開発を担当する三井不動産グループとも、隣接する三菱地所グループとも、普通に会話をします。一方でこのまちにいるマイクロデベロッパーの立場も大切にして、開発側がまちの人たちに声をかけたくなる状況をいかにつくっていくかに注力しています。芸術不動産の活動がまさにそれです。攻めるのではなくひたすら引いて、門戸をどう開くか、というスタンスです。そのために、日常的に「焦らない」「足るを知る」というマインドを大切にしています。

 

後藤: 関内でまちづくりをしていくと、「私を超えていく」感覚を得ることがあります。自分がこのまちにおいてどこを目指すのか、そのためには何を手本にしていくのかをきちんと描くために、有識者に監修してもらい、知識や経験を授けてもらい続けるなかで、まちの人たちが「子どものためだね」「未来のためになっているね」と集まってきて、物理的に子どもの存在がまちに押し出されてくるようになりました。
開所当時のピクニックナーサリーには関内の住人はいなくて、入居するビルで子育てしているクリエイターさんたちに利用してもらっていました。ところが今は12人定員の全てが関内や界隈の住人です。それだけ関内に住人が増えて定着していることがわかります。
元々私は子育て支援事業は保育も含めて素人でしたが、続けていくなかで、次から次にまちの人から声がかかるようになります。子育てに関わる担い手が足りないと、それは関内の居住者で子育てする人に対するリソースが減るということでもあるんですよね。私はもともと制作会社のプロデューサーで、企画屋です。その視点で、このまち全体を作品として俯瞰して見た時に、子どもや保護者を中心においた有機的なつながりのなかで、ばらつきがありながらも安定的に協調することをやりたいと思っています。どの地域でも子育てや福祉の担い手不足になる時に、その分野に長けた専門事業者がまちのさまざまな専門的プレイヤーとつなぐ役割になります。子育て支援がまちづくりに関わるかどうかで、有機性が変わってきます。
関内にはついに戸建て住宅がゼロになり、全て集合住宅になりました。商業地の中に新住民がどんどん入ってきて、まちの賑わいをいかに創造するかということになった時に、住民が楽しそうにしていないと、関内は人が来ないまちになってしまう。だからこそ住民を巻き込んだ事業者が必要で、そこを担保するのは福祉なんです。それにより、住民から事業者までが安心して同じテーブルにつくことができるようになります。私がフェスやイベント、そして地域団体振興会などでのお役を引き受けて、住民とまちの個店がつながる機会をつくるなど、小さな流れを1件でも多くつくって、愚直に「とにかく安心してみんなでつながっていきましょう」と旗を振ります。それを相澤さんが俯瞰的な目で見てまちの戦略設計に活かしてくださる。結果的には自社の子どもの利益にもなるのですが、一方で利他的に見ると、子どもたちを含めた住民がこのまちで暮らす安心を享受するという流れにつながります。

 

相澤: plan-Aでは、関内エリアの定量データを調べて可視化して、誰が見てもわかるようなデータベースを作っています。かれこれ3回やっていますが、関内ではわかりやすく居住人口が増えています。横浜市庁舎近辺の北仲エリアの影響が大きく、新築の賃貸住宅の供給がめちゃくちゃあり、価格帯からしても高齢世帯ではなく共働きの高所得世帯が居住する傾向にあります。すると、今後このまちに子どもが増えていくことは明らかで、これまで関内で経済化してこられなかったところの可能性が際立ってきます。
一方で経済指標では目に見えない、地域の根深い福祉に入り込める存在がいることは、まちの将来に関わる極めて重要な変化の起点で、データには現れてこない課題の発見にもつながります。そこに立直し続ける後藤さんの動きは、すごく体力を使うし大変なことで、素直に尊敬しますね。特にPTAや学校地域コーディネーターなど、まちの福祉を担う役も積極的に引き受けていることの価値は大きい。
関内は今進んでいる再開発によって、ジェントリフィケーションを覚悟しなければいけない状況にあります(gentrification=都市の富裕化現象、住む人々の階層が上がり地域全体の価値が向上すること)。今までは賃料が安くて関内を選んでいた人が、関内で事業をすることが難しくなっていく可能性もあります。今までの、いい意味でのカオスな関内が消えていき、それを惜しんでいるフェーズにはすでになくなっています。まちにお金が投資されないと単純に廃墟になってしまうので、芸術不動産を通してビルオーナーさんにいかに話をして、このまちでどう外貨を獲得するのかということを考えていかねばなりません。。外貨を稼ぐには人が来ないといけない、というシンプルな構図です。これを、関内なりの方法で試行錯誤するということなんです。
個性が服を着て歩いているような人しかいないエリアで、誰かが何かにチャレンジする、アジャイルするような姿を子どもたちが日常的に見られる環境は、他にはない特性だと思います。30メートル歩いたら誰か(知人やまちの有名人)にぶつかるような、親密さもある。変なことはできないので、良くも悪くも、ていねいな相談、情報共有は必須です。
私が関内に関わることは、私利私欲ではないとは言いましたが、このまちに人がいて活気づけば、結果的にplan-Aも、Gも、ピクニックルームも、その他のまちに関わる事業者たちも、事業がうまく回っていく循環が生まれるはずです。

自らの当事者性が、関内のまちにリアルな息吹を与える

── plan-A設立のタイミングと相澤の子育ては重なる。子育てとまちづくりという新たな視点を得たことで、相澤のまちの見え方は確かに変わっていった。後藤さんが関内で「子育て支援」という旗を振りながら、子育て世代が安心してまちに出られるようなさまざまな仕掛けを行なっていった結果、関内だけでなく、全国の都市につながるような、新たなまちづくりの仕組みが生まれている。

 

相澤: 先ほど、「焦らない」「足るを知る」と言いましたが、これは子育てにも通じていることで。そもそも独立する最大要因は、「子どもに自分のどの忙しい背中を見せるか」でした。焦らず急かせず、ポジティブに働く姿を見せたい。全ての軸足を子育てに置いています。子ども目線で見た時に、社会の見え方は全く変わってきます。子育て当事者目線で関内の町を見ていくと、Gにも、桜通りにも、ギューッと「子育て」のエッセンスが浸透してきているのがわかります。数年前まで、シェアオフィスに子連れで行くなんて考えられないという感覚だったかと思いますが、今ではそれが文化として根づきつつある。富山県との仕事でも同じことを感じました。これは、言語化しきれない肌感覚なのですが。

 

 

後藤: 私もかつてZAIM(現在は閉鎖した創造都市事業拠点で、日本大通りにある旧関東財務局横浜財務事務所をリノベーションしたコワーキングスペース。、2017年からは横浜DeNAベイスターズがスポーツ×クリエイティブをテーマに活用している)に息子を連れていき、そこでクリエイターの方々が寛容に受け入れてくださった原体験があります。今ではもう少しオフィシャルな場で子どもがまちに関われるようにしたいと、弊社のコンセプトに「子育ては人材育成、子育て支援は企業の生存戦略」と謳って、企業との地域協働事業を進めています。2020年のコロナ禍より、横浜DeNAベイスターズさんと小学校高学年対象としたお仕事体験として、試合日のイベント企画を考える事業を行い、現在も続いていますが、結果的には子どもたちはファンになったり、企業価値を高めるようなことにつながっていきますよね。
コロナ禍だからこそ、忙しい皆さんとたくさん対話できて、地域でクリエイターと子どもが交わる企画をたくさん行ってきて、YOXOフェスでは子育て支援に関わる起業家としてピッチに立たせていただいたり、私自身も子育て当事者として生きながら、起業家との両軸で仮説検証している感じです。多様な方々と関わる間に達成感や連帯感が育まれ、若い子たちも参入し、今、本格的にまちづくりのフェーズに入った時に生かされているような気がします。終わりのない担い手づくりというか、それができるのが子育て支援かもしれません。

正しく責任を取れる人

── 相澤と後藤さんに共通するのは、私利私欲なく、利他的でありながらも、最終的には自社や周りの事業者にとっての利益を担保することを否定しない姿勢だ。自社の経営というよりも遥かに大きく「都市経営」の視野でまちの経済を回し、結果として自社や自分の暮らすまちに還元されるという循環性がそこにある。
「あの人から見たplan-A」では、最後に必ず定型の質問を行っている。後藤さんから見た相澤を一言で表すならば……。

 

後藤: 私が関内というまちの現場で衛星のように細かく動いているなかで、大きな山から全体を見てくれる、そして最後のところで正しく責任をとってくれる、そんな存在が相澤さんです。
まるで野球チームの監督のように、日々のバッティング練習や、盗塁、そしてスカウトまで、私がコツコツ動いているのを見てくれています。関内というまちのチームは粒揃い、役者揃いなので、私自身は代打でいいんですよ。どんどん若手も活躍してくれているし。選手起用にも長けていますよね。
相澤さんは不動産開発の専門家だから、常にまちの動きや人の動線、経済の流れの、二手、三手先を読んでいます。常にその中心軸にあるのはそこに暮らす人々の安定。その中で適切に活性化、進取の動きを察知して、アドバイスをくださる存在です。
相澤さんには判断材料の元となる情報ソースやデータがめちゃくちゃ多くて、それが元々相澤さんを信頼するきっかけでした。多様な考え方をインストールしたうえで、一つの見方だけでは絶対に判断しない、断定しきらないんです。本当に信頼できる頭のいい人、という最初のインプレッションは間違っていませんでした。相澤さんが後ろに控えていてくださることで、私はこれからも安心してネズミのように走り回れます(笑)。

 

 

相澤: 不動産開発で大切なのは、最終的には戸建てでもマンションであっても、個人財産になるんですが、デベロッパーとしては公共財産をつくっているという認識を持たなければダメなんですよね。今後このまちで子育てをしていく人たちが、どんな地域経済圏をつくっていくのか、その真ん中に安心して暮らす、生きることができる「つながり」が担保されていることが重要です。後藤さんの存在は、地域経済圏における企業と生活者のつなぎ目です。今日は利益、利己、利他、という言葉が出ましたが、都市経営における公共性とは何かを、あらためて考える時間になりました。

 

インタビュー・文=北原まどか
写真=堀篭宏幸