大胆と精密、両方を兼ね備えたプロマネ
── 相澤さんが独立してplan-Aを設立するにあたり、メンター的な役割を担ったのが馬場さんだと聞いています。どんな言葉で相澤さんの背中を押したのですか?
馬場: 覚えていないなあ(笑)。
相澤: 正確には、独立する前のことです。plan-Aを設立したのが2018年5月なので、多分前年の暮れごろにFacebookで独立を明らかににおわせてしまうようなことを書いた時に、馬場さんから「独立するんだよね?」と声をかけられ、打ち合わせが一回持たれました。馬場さんがその時に、「独立したら相澤さんは2カ月もしたら首が回らないくらい忙しくなるから、今のうちからツバをつけておきたい」と言われました。
馬場: それははっきり覚えている。もしも本当に相澤さんが独立したら、一気にブワーッと仕事がきてびっくりする状況になるから、気をつけたらいいよ、という話をしましたね。
相澤さんとの仕事には二つの特徴があるんです。
相澤さんは、一緒に仕事をしていて、そのプロセスを楽しめる人なんです。プロジェクトを進めていくうえで、マイナスなことや行き詰まることもあるけれど、とにかく、相澤さんは楽しそうにその問題を解決しますね。トラブルや障壁がやってくると、普通は鎮痛なムードになって、こっちもドヨ〜ンとするけれど、相澤さんは「うわ〜、やってきた〜!へんなのきた〜!!」とか言いなながら、楽しくポジティブなモードで仕事を進めていきます。この人、M的変態(笑)みたいな。なかなかこういう人はいないです。みんな一緒に仕事をしたくなる。
もう一つは、それともつながるのですが、相澤さんは「絶対に何とかする」。(その状況が)何とかなっていなかったとしても、ずーっと粘り強く動き続けるから、結果的に「何とかなった」ことにする。「無理っす」ということは、相澤さんはほぼ言わない。これは珍しいくらいです。それはとりもなおさず責任感につながっていると思います。表には出さないけれども相当強情なやつだと思う(笑)。それはプロジェクトを動かすプロジェクトマネージャーの素質としてめちゃくちゃ大きいです。
そして、相澤さんは実はとても「精密」ですよね。リストのように大きい企業にいれば、上の人も下の人もあらゆることをいろいろ言うだろうけれども、気分だけでは説得できないので、数字やマーケティングをかなり綿密にやりますよね。大胆なことを言うけれどもそれを精密に詰めていく。「コンピューター付きブルドーザー」と言われていた田中角栄タイプかな。一見豪腕に見えて、つくる資料や話す内容はパキッとモードが変わって緻密。そこの切り替えでやられてしまいますね。ゴリゴリのプロマネもできれば、かなり綿密なマーケティングもできる。その両方を持っている人はあまりいないんです。
相澤さんは、そこは特殊ですね。マーケティングや数字に強いタイプの人は失敗やノーもわかるから、大胆な決断をしにくくなる。大胆にゴリゴリやる人は綿密なマーケティングやデータを軽視する傾向があるけれど、相澤さんはその両面を持っていて、ある種、二重人格性というか、みんなが相澤さんのことを「変態」というのは、冷静に分析すると、そのあたりかもしれませんね(笑)。それは相澤さんの圧倒的な強さだと思います。
学生のピュアなプランをそのまま形にした「リストガーデン横浜ゆめまち」
── お二人の関係をひもといていくと、リスト株式会社と東北芸術工科大学が産学連携によって取り組んだ「リストガーデン横浜ゆめまち」での協働経験が大きいのですね。
相澤: リストガーデン横浜ゆめまちは、2015年、横浜市保土ケ谷区に「こどもの夢をはぐくむ街」として開発した総戸数40棟のプロジェクトです。私が「子どもの創造力を育む環境」をちゃんと考えた開発を見たことがなく、そういう住宅地をつくらなければいけないという感覚が頭の片隅にずーっとあったことから、やるからには産学連携で取り組みたいと、組める相手を探していた時に、偶然グッドデザイン大賞の公開審査で出会ったのが東北芸術工科大学(山形県山形市。以下、芸工大)で。馬場さんや、みかんぐみの竹内昌義さんが教鞭をとっているから、ではないんです。しかも、芸工大に産学連携の交渉をした時にはまだ社内の了承をとっていなくて、それから社内合意を取り付けるという逆流現象で進めました。
馬場: 大学もたくさんありますが、大学の先生が民間と組んで建築やプロダクトを生み出せるプラットフォームを持っている大学はあまりないんです。芸工大はめちゃくちゃ柔軟なのと、竹内さんと僕がいたのも大きい。二人ともめっちゃ実務派で先生先生していなくて、企業や民間との仕事ばっかりしている。仲良いし、おもしろがれるので、だから、相澤さんはよく引き当てたなあ、と感心しますよ。
相澤さんは、「学生をガチで巻き込んでくれ」と言う。普通とは逆です。普通の企業が産学連携をやるときはたいていCSR的に関わるので、ふわっとしたことを言うんです。最初にこの話が来た時に、リストは横浜の大きい会社だし、開発の規模も大きいから、ふわっとした感じだったら引き受けるのはきついかなあ、と思っていました。大学が考えたことを実務的にインストールすることは難しいので、企業側にも相当な覚悟が必要です。大学側も本気でやるなら覚悟がいるので、実現する可能性がまあまあ薄い。我々も忙しいのでふわっと返事していたら、相澤さんからバキッとしたメールが来た。「この人ガチだわ」と思って、これは覚悟を決めてやらないといけないと、竹内さんと僕はガチッとモードを変えたんです。
相澤: 馬場さんと大学でお会いして打ち合わせした時に、ミーティングがめちゃくちゃスムーズで気持ちよかったのを覚えています。馬場さんが最初におっしゃったのは、「大学生のうちにこんなにガチなプロジェクトに出会えるのは幸せなこと。それに価値を感じたので本気で臨みます」と言われて、めちゃめちゃ感動しました。それから、建築・環境デザイン学科、プロダクトデザイン学科、グラフィックデザイン学科、こども芸術大学と、芸工大で一丸となって、プロジェクトが進んでいきます。
── 馬場さんがその時にみた相澤さんの仕事ぶりについて教えてください。
馬場: 学生とのワークショップから始めて、本当に「素」で学生のイキイキのびのびした考え方や、子ども時代の記憶とかを引き出しながら、考える発端をつくっていきたいと相澤さんは言っていて、本当にそれはそうだな、と。建築とプロダクトの学生を混ぜてプロジェクトチームをつくって、専門性に立脚させながらプランを考えていきました。
住宅メーカーのフォーマットは「Let’s(〜しようぜ)」より「should(すべき)」が主流で、条件が多すぎて自由な発想ができないのが普通です。しかし、このプロジェクトはまず「Let’s」で始めて、その後「should」の条件をはめていったのが特徴的です。
石母田諭(Open A): 私は今、Open Aで働いていますが、リストガーデン横浜ゆめまちの時は芸工大の学生でした。相澤さんと初めての打ち合わせをした時に今でも覚えているのが、いきなり「屋根の素材はなんですか?」「温熱環境はどうですか?」と訊かれたこと。平面プランしかない段階で「この人ガチだ」とわかりました。熱量が全然違う。
その後プランを練り上げていく段階で、相澤さんが「赤ペン先生」みたいな感じで、フィードバックをすごく丁寧に図面に書いてくれたんです。打ち合わせの場でも、メールでも普段からのやりとりを濃密にしていました。ここまでやってくれる人がいるんだ、と驚きました。
印象的なのは、子ども自身にその家の良さ、場の意義を伝えていくために、子どもを主語にしてプランを説明することにしたんです。その時に、難しい用語で伝えるのではなく、「ぐるぐる」「のびのび」「ぴょんぴょん」という説明の仕方を考えたり、住宅地の中の一角に「ドラえもんの空き地」や「広場」をつくろうという計画を立てていきました。そこを子どもがどうやって使うか、遊びの開発をするために、河川敷で芋煮をつくりながら鬼ごっこの開発をして、それをこども芸術大学の子どもたちと実践検証する。家のプランだけでなく、その場所がどう使われるのかをフォーカスしながらやれたことが大きいです。住宅の開発やプランを考えるだけではなく、その先のことまでいろいろ見据えてやっていった。
相澤: 途中から先生を誰も介さず学生と直接やり取りするようになりましたね。建築の学生は元がタフだったので、赤を入れて戻すと、1が2になって返ってくる。そこまで考えたのか!と感動しました。プロダクトの子は1が0.5に戻ったりすることもあって、文字通り血と汗がにじむ思いを味わいながら本当に苦労したことと思います。最後には学生がものすごく伸びて、先生の方が感動していたくらいです。
赤ペン先生はほぼ自分一人でやっていて、さらに設計や施工部隊との社内調整はめちゃくちゃありましたが、そこは、そんなに苦に思っていなかったですね。
馬場: あの時の学生はラッキーですよ。自分が考えた企画が実際の風景になってできあがっている。しかもこんなにたくさん。学生のピュアなモデルプランが結構そのまま形になっていたんですよ。住宅メーカーであれをそのままつくって、売り切ったというのは、なかなかないかもしれません。
実は「教育者」が天職?!
── リストガーデン横浜ゆめまちから5年。今度は独立した相澤さんがplan-AとしてOpen Aと一緒に、桃山建設の「THE GUILD – IKONOBE NOISE」のプロジェクトを一緒に手掛けます。設計のメイン担当者の石母田さんは、「横浜ゆめまち」からのつながりですね。
相澤: THE GUILDは、最初に訪れた時から「ここは馬場さん」と思った(THE GUILD対談を参照)。そしてメイン担当として登場したのは石母田くん。きたな、という感じでしたね。
── ある意味彼らは相澤さんの「教え子」なんですよね。関係性が「再生産」されているのを感じます。
馬場: ありがたいことですよね。学生時代に大きなプロジェクトを経験して、トライアルと実務を繰り返して、社会人になってからさらにOpen Aのスタッフとして具体的なプロジェクトを回す。石母田の成長を相澤さんはずっと見ている。
石母田: 最初にこの池辺町に来た時には、桃山建設の材木置き場兼加工場、1Fにテナントとしてお弁当屋さんがあって、さらに隠し階段のようなところから賃貸住宅につながって……という強烈な空間があったので、空間自体はいかようにしてもおもしろくなるな、かっこよくなりそうだなと言う感覚はありました。学生時代から相澤さんと接するなかで、空間のしつらえだけでなく、その先のこと、例えばゆめまちならば遊びを開発することや、プロモーションの仕方をいろいろ経験したので、THE GUILDでも空間デザインだけじゃなく、この場所を誰が使い、社会にこの場の意義や存在を伝えていくかを、横断して考えられる脳味噌の使い方をできたかなと思います。
馬場: 石母田は一見クールで、あまり手の内を見せようとしないんですが、僕や相澤さんに対してもプロジェクトメンバーに対しても、びっくりさせようと思うサービス精神を持っている。設計や施工プロセスを教えてくれるといいのに、いざという時に見せて「どうだ」というのが好きですよね(笑)。それができるのは能力であり才能だと思う。僕自身も何が出てくるかを楽しみに待っているけど、一方で何が出てくるかわからずハラハラもする(笑)。
うちの事務所は先輩や僕とかのアイデアをゴリゴリ押し付けるよりも、一人ひとりのおもしろいアイデアを待っていて、それを時に組み合わせてみたり、それこそバランスしてみたりして、案をつくっていきます。今回は石母田の後に野上晴香が担当として加わって、キャラとアプローチが違うなかで、どういう着地をしているのか。プロセスはわからないものの、補い合っています。経験も積んで、アイデアの段階からゴールまで持っていくことへのタフさを身につけて、着地力が高まっています。今回もこの建物のポテンシャルや条件があって、あれもこれもできるわけじゃないけれど、足場をイメージしたファサードを提案した時にブレイクスルーが起きましたね。
野上晴香(Open A): 私と石母田の関係は、役割を分けてはいないので、自然と関わる人やデザインに対して、常に二人とも全体を見るようになっていると思います。
限定的に担当するというよりは、大きな対象の中で制限をかけずにお互いが思いためたアイディアを出し合いながら詰めています。
その中で私は素材や部分的な収まりを考えることが比較的好きかな、と思うので、GUILDでいうとファサードの部材形や賃貸部屋の内装素材、共用部の棚やテーブルについての案出しが多かったように思います。
石母田: 僕はどちらかというと、その場所の大きなコンセプトや世界観みたいなところを考えるのが得意ですが、建築の細かいディテールを描くのは野上さんの方が長けているので、そういうところをお願いしています。僕は絵をつくるのは好きなのですが、馬場さんが言うようにコミュニケーションは円滑な方ではないので、その絵をもってプレゼンしてくれるのは野上さん。明確に分けているわけではなく、なんとなくこれはそっちにお願いした方がいいよね、というやんわりした感じです。
── 馬場さんは建築家、実務家でもあるなかで、大学の先生であることに大きな意味があるように思います。
馬場: 大学の先生になるなんて、夢にも思っていなくて、教育に興味があったのかは、正直、わからないですね。ただ、僕は本を書いたり文章を書いたりはするので、アカデミズムには興味がありました。いろんな状況を理論化する、体系化する、経済を超えつつ次の社会に必要な概念や方法論を提示することに本質的な興味がありました。大学の先生という立場は、それには向いているんだなあとよく感じることがあります。大学の先生には二つの役割があって、若い学生たちと対話しながら、その成長に寄り添ってサポートすること。もう一つは大学の先生というある種学術的にニュートラルな立場から、次の社会に必要なものをピュアに伝えることがあります。
人間が、いろんなものを体得したり学んだりして、育っていくプロセスを見ていくのは、純粋に楽しいですね。僕が常に教育の立場で気をつけているのは、判断やアドバイスをする時に、「これが自分の息子や娘だとしたらどういう判断をするのだろう」いうことを考えるようにしています。そこを基準にしていると、全力で考えた結論を伝えることになり、結果、いろんなドラマが起こります。それを見ているのは、何かな、ちょっとおおげさな言い方かもしれないですが、人間についてしっかり考えたりつきあったりする力が、大学の先生をやったことによって増えているのかもしれないなあ、と。
── 相澤さん自身にも教育者的な要素がありますね。
相澤: 自分はなぜか、小学校6年くらいから、学校の先生になりたくて仕方なかったんです。それがあったから、大学も教職課程をとって無理してぶっ倒れるまで勉強して。教育に対する思考を持っていたというよりも、人を育成していくことに対するマインドに、人並みならぬものを持っていたように思います。
自分のスローガンとも言える「関わるすべての人の人生に、良質な化学反応を起こしていきたい」についても、相手が大学生だからではなく、いろんなプロジェクトで老若男女問わずご一緒する方々にとって、何かしら得てほしいし、皆さんにも自分にも「ストレッチ」の幅をつくって一緒に乗り越えていきましょうと願っています。
馬場: 「教える」ということに対して、相澤さんには一種独特の強い情熱を感じますね。社内の若手に対しても、うちの学生、社内のメンバーに対しても、そうだった。もしかしたら教育者って天職かも。向いていますわ。
「でっかいヤツ」。包容力や分析力、そして優しさも含めて。
── ここで、恒例の質問です。相澤さんを一言で表現するならば?
石母田: 「外付けハードディスク」みたいな感じですかね。フットワーク軽くどこにでも駆けつけてくれて、一人では処理しきれない物事や情報を、分析したり整理したりすることに力を貸してくれる。それに記憶力がすごいなと思っていて。相澤さんに関わっている人って数百人とか数千人とかいるかもしれないけれど、その人たちのこと一人ひとりを覚えていてくれているなという感じがあります。決して機械的で冷たい人という意味ではなく、誰かをサポートしてドライブさせてくれる感じが「外付けハードディスク」に近いかなと思いました。
野上: 「映画監督」みたいな人だなと思いました。その物語を完成させるまでに並走をずっとしながら、いろんなキャスティングを一生懸命考えて。瞬間瞬間のシーンをどうしたら円滑に撮れるかを考えて、たとえば土砂降りのシーンならば自分もチームと一緒に雨に打たれながら考えてくれる、そんな存在です。
馬場: 「でっかいヤツ」というふうに思いました。仕事やプロジェクトや状況に対する寛容力がでっかい。なんでも受け入れようとしますよね。
そして、優しさが大きいですね。人間に対してこれだけでっかく構えて受け入れるっていうのはなかなかできない気がする。そういうあらゆる状況や人に対して「でっかく構えてガサっと受け入れる」みたいなところが、相澤さんの最大の特徴で魅力でもある。結果、でっかくてつかめないところもあるんだけど、つかめないところも含めてその「でっかさ」が相澤さんなんじゃないかなあと思いました。
「普通の家」をつくる新たな冒険をこれからも一緒に。
── 相澤さんは今、toolboxとも関わっておられるとか。可能ならば「今」やっていることについても教えてください。
相澤: Open Aと一緒にtoolboxと取り組んでいることは、表現は難しいのですが、がんばって一言にするならば「普通の家」をつくろうということです。もっと暮らしを普通に営めるようなものがなぜないのか。自分たちで自分たちの暮らしを作っていこうとするライフスタイルが求められているのではないか? という問いから発想している「商品開発」です。
馬場: toolboxは住宅の資材を扱っていて、自分の家を自分で編集したりつくったりする家づくりを提案しています。「toolboxの家」で相澤さんと追求したいのは、「究極の普通」なんです。日本の住宅っていろんなものがつきすぎていて、何がなんだかわからなくなっているかもしれないなという気がしています。家についていろんなことを考えすぎたあまり、普通に住むこと、暮らすことから逸脱していなかったか。もう一回原点に戻って、「究極の普通の家」を考えていこう。奥深いテーマだと思います。これを具体的な空間に落とし込んでいく作業自体が、僕らにとっての価値。どんな形で着地していくのかはわかりづらいのですが、追求していいテーマだと思っています。
これから、相澤さんがプロマネする仕事をまた何か一つガッツリやってみたいですね。今までの世の中にないようなやつ。それがなんなのかはわからないですが、同じ船にのって冒険する、そのプロセス自体が楽しそう。新しいプロセスがあれば結果的に新しい空間や建築ができあがっている。その全体をやってみたいなあと思っています。
(構成・文=北原まどか)